介護の仕事をしていると、ふと「人の一生って、こういうものなのかな」と思うことがあります。
子どもは、生まれたばかりの頃は何もできません。
自分で食べることも、歩くことも、着替えることもできない。
泣いて、眠って、おむつを替えてもらって、誰かにお世話をしてもらいます。
それが少しずつ成長して、
寝返りができるようになって、
歩けるようになって、
自分で食べられるようになって、
トイレにも行けるようになる。
年齢を重ねるごとに、できることがどんどん増えていきます。
大人になると「何でもできる」ようになる
やがて大人になれば、自分のことは自分でできます。
仕事をして、家事をして、買い物をして、料理をして。
誰かのお世話をする側になることもあります。
私自身も、若い頃は「できて当たり前」と思っていたことがたくさんありました。
ところが、介護の仕事をしていると、その先の人生を見ることがあります。
年齢を重ねると、今度は「できない」が増えていく
高齢になると、今まで普通にできていたことが少しずつ難しくなっていきます。
料理をするのが大変になったり、
片付けができなくなったり、
食べ物をこぼすようになったり。
何度も同じことを聞くこともあります。
以前はできていたことなのに。
「どうしてできなくなったんだろう」
家族だったら、そう思ってしまうこともあるでしょう。
私も介護の仕事をしていて、そういう場面に何度も出会います。
でも、人生を一本の線で考えてみると……
子どもは、
できないことが多い状態から、できることが増えていく。
そして大人になり、できることがピークに達する。
その後、年齢を重ねるにつれて、
できることが少しずつ減っていく。
そして最後には、自分で食べることや動くことが難しくなり、
誰かの手を借りながら過ごす時間が増えていく。
もちろん、人によってその過程は違います。
でも私は介護の現場にいると、
「人は生まれてから成長し、人生の折り返しを過ぎると、
少しずつ赤ちゃんの頃に戻っていくようなところがあるんだな」
と感じることがあります。
最後には、眠っている時間が増えていきます。
食べること、眠ること、誰かに見守ってもらうこと。
そう考えると、人生って不思議ですよね。
「またこぼしてる!」と思ったときに
親が食べ物をこぼす。
部屋を片付けられない。
同じ話を何度もする。
家族としては、ついイライラしてしまいます。
「さっき言ったでしょう」
「どうしてこんなこともできないの?」
「また同じことを聞いてる……」
そう思ってしまうのも、仕方のないことだと思います。
介護する側だって疲れています。
いつも優しくなんてできません。
でも、そんなときに、
「できなくなったんだな」
と少しだけ見方を変えてみる。
子どもができないことを一つずつできるようになるのと同じように、
高齢になれば、今までできていたことが一つずつできなくなっていく。
それも、人の一生の一部なのかもしれません。
「今までできていたのに」ではなく
親が何かできなくなったとき、
「今までできていたのに」
と思うと、悲しくなったり、腹が立ったりします。
でも、
「今はもう、できなくなってきたんだな」
と思えると、少しだけ気持ちが変わるかもしれません。
もちろん、何でも受け入れられるわけではありません。
イライラする日もある。
優しくできない日もある。
それでもいいと思います。
大切なのは、親の変化を「できなくなったダメなこと」とだけ見るのではなく、
人生の終盤に向かう自然な変化として受け止めてみること。
それだけでも、介護する側の気持ちが少し軽くなることがあるのではないでしょうか。
人生は、できることだけが増えていくわけじゃない
子どもの頃は、できることが増えていくことが嬉しかった。
大人になると、自分で何でもできることが当たり前になる。
そして年齢を重ねると、今度は少しずつ誰かの手を借りるようになる。
もしかすると、それも人生なんですよね。
赤ちゃんの頃に誰かにお世話をしてもらい、
大人になって誰かを支え、
そして最後には、また誰かに支えてもらう。
「人は一人で生きていくもの」ではなく、人生のどこかで、
誰かに支えてもらいながら生きていくもの。
介護の仕事をしていると、そんなことを実感します。
だから、親が何かできなくなったとき。
ついイライラしてしまったとき。
ほんの少しだけ、
「私も赤ちゃんの頃は、こうやって誰かにお世話をしてもらっていたんだよね」
と思い出してみる。
そうしたら、さっきまで腹が立っていたことが、ほんの少しだけ許せるかもしれません。
人は、できるようになることだけが人生じゃない。
できることが増える時期もあれば、
できないことが増えていく時期もある。
そのどちらも、人の一生なのだと思います。
